[社会規範としての法] 人間が二人以上いればそこには一定の「ルール」が必要である。我々の社会におけるこのルールのことを「社会規範」という。社会規範には習俗や道徳さらには宗教などいろいろなものがある。我々がこれから学習する「法」もまた社会規範の一つである。
[社会規範と自然法則との違い] 社会規範とは似て非なるものに,自然法則といわれるものもある。例えば,高いところからリンゴを手放せば必ず下に落ちる。これは,人がそうしようと思ったからそうなったのではなく,人の意思にかかわらず常にそうなるのである。人が変えようと思っても変わることはない。このようなものが自然法則である。自然法則は「〜である」と表現することができるものである。
これに対して社会規範は「〜すべきだ」と表現することができるもので,そこには人の主張や価値判断が含まれている。
例えば,知人に会ったときはあいさつをしましょう,というのは,「すべきだ」という価値判断が含まれているし,同様に,人にけがをさせる「べきでない」,借りたお金は返す「べきだ」,税金は払う「べきだ」,など,すべて人の主張や価値判断が含まれているのである。
[法と他の社会規範との違い] それでは,法と他の社会規範とはどのような違いがあるだろうか。例えば,道徳的には近所の人に会ったときにあいさつをすべきであろう。けれども,あいさつをしなくても,非常識だとか,親の教育がなってないなどと言われたりして道徳的に非難されるかもしれないが,それを国などの公権力に強制されることはない。
これに対して,@人にけがをさせてはいけないということは法で定められていて,人にけがをさせれば,刑務所へ入れられたり,罰金を払わされたりする。Aまた,借りたお金は返さなければならないことが法で定められていて,返さなければ,民事裁判や民事執行の手続により,強制的に取り立てられる。Bさらには,所得を得たり,不動産を持っているときには,税金を払うことが法で定められていて,払わなければ税務署の職員や市役所の職員に強制的に取り立てられたりする。
このように,法は,他の社会規範と比べて,公権力により強制されるという点に特色がある。すなわち,「法とは公権力による強制力を伴った社会規範である」,ということができる。
[法の存在形式] このような法は,どのように存在しているかについて触れておこう。まず,法は,文章で書かれているものがある。例えば,国民の自由を保障する「憲法」や,市民間の生活関係を規律する「民法」,企業に関する「商法」,犯罪と刑罰を定めた「刑法」などである。この他に裁判の手続を定めた「民事訴訟法」や「刑事訴訟法」という法もある(以上の六つの法は,法の中でも代表的なものなので,ここから法令集のことを「六法」と呼ぶ。)。これらのように文章に書かれているものを「成文法」という。
これに対して,文章化されていないものを「不文法」という。不文法には,「慣習法」というものや,「判例法」というものなどがある。慣習法は,人々が行っている慣習の中で,その慣習が法と考えるようになったものである。また,裁判所に紛争が持ち込まれたときに,その解決した基準を「判例」という。アメリカやイギリスでは,判例法主義といって,この判例を法の源と考える主義をとっているので,判例が法と考えられている。しかし,我が国では,成文法主義という,法律の源を成文法と考える主義をとっているので,判例がそのまま法となるのではない。では,判例が全く法になり得ないかというとそうではない。この判例に従って行動することが人々の慣習となり,それを法と考えるようになったときに慣習法として法的拘束力があると考えられている。
似たような分類として,成典法・不成典法という区別がある。統一の法典があるかどうかによる分類である。例えば,憲法や民法,商法などは統一の成典があるが,行政法は「行政法」と題する統一の法典はなく,「行政代執行法」や「行政手続法」「行政不服審査法」など多数の法典の形で存在しているものである。
*□□ 社会規範と自然法則との違い
*□□ 法と他の社会規範(特に道徳)との違い
*□□ 法とは,公権力による強制力を伴った社会規範である。
*□□ 成文法・不文法の区別
*□□ 成典法・不成典法の区別
[権利と義務] 我々の生活利益には,法的に保護されたものと,そうでないものとがある。これらの利益のうち法的に保護された利益が権利である。では,「法的に保護された」とはどういうことか。ここで,法の定義を思い出そう。法とは「公権力による強制力を伴った社会規範」であった。したがって,公権力による強制力によって保護される利益が「法的に保護された」利益ということになる。このように公権力による強制力によって保護された利益が権利であるということができる。
例えば,お金を貸したAは,お金を借りたBに対して,「返せ」と請求する利益がある。この場合,Aは民事裁判や民事執行の手続により裁判所という国家機関の力を借りて強制的に取り立てることができる。すなわち,AがBから貸したお金を返してもらう利益は,法的に保護されている利益である。したがって,この貸したお金を返してもらう利益はAに認められた「権利」なのである。
ところが,AがBに全然請求しないまま一定の期間を経過してしまうと,時効という制度があって,Bが「そんな昔の話は,もう時効だ。」と主張すると,Aは,もはやBに請求することができなくなってしまう。これは,10年も20年も経過してしまうと,本当にお金を貸したのかどうかが,はっきりしなくなってしまうし,せっかく権利を認めたにもかかわらずそれを行使しない怠慢なAを保護する必要はないからである。このような場合,Bが自発的に返すときは,それを受け取る利益はあるが,公権力の強制力で実現してもらえないのであり,この利益は,もはや権利ではないのである。
このように法的に保護された利益が権利なのである。この権利の裏返しが義務である。
[権利と人権] ここで,憲法を学ぶ際に登場する「人権」についてについても触れておこう。人が権利を行使できるのは,通常,法律によってその権利が認められているからである。法律は,公平の観点や政策的な観点から,〜の場合には〜の権利を認めようという価値判断に基づいて人間が作り出すのである。人権も権利には違いない。しかし,人権は,人間が作り出したものではなく,人が生まれながらにして当然に持っていると考えられている権利である。憲法に規定されている人権は,憲法に規定されて初めて人権として認められたものではなく,本来,人が生まれながらにして当然に有する権利を確認して明文化したものなのである。だから,憲法に規定されていない人権もある。
*□□ 権利とは,法的に保護された利益である。
*□□ 人権とは,人が生まれながらにして当然に有する権利をいう。